境内案内

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薬師堂・釈迦殿

薬師堂

  当山のご本尊は、宗祖伝教大師最澄が東国の地に教えを広めようと発願し、一刀三礼して自ら彫刻なされたお薬師さまで、今日に至るまで千百五十年余年にわたって衆生済度の光明を照らし続けておられます。江戸時代は徳川将軍家祈願の折だけご開帳が行われていました。もちろん庶民からも、薬師仏が病気を治し霊感あらたかだとして、たいへん多くの信仰を集めていました。現在は12年に1度ご開帳を行っています。(次回は平成22年10月10日~16日)

仁王門、仁王尊(金剛力士像)

仁王門

  仁王門は朱塗りの門で、平成8年5月に落成いたしました。仁王尊(金剛力士像)は、何本かのヒノキを寄せて作る「寄木造」で、ガラスの「玉眼」が埋め込まれています。胎内(胸の内側)に墨書銘があり、江戸時代前半の寛文3年(1663)に浄光寺僧侶忠辨が願主、名主の大塚六右衛門が惣檀那となり、京都七条の仏師五代目兵部藤芳が制作したことが分かります。金剛力士像は仁王門に立ち寺を守護する役目があり、仁王像ともいいます。向かって右が口を開く「阿形」、左が口を閉じる「吽形」(ともに現像高は275cm)で、怒りの顔をあらわし、全身に力がみなぎっています。

仁王門

仁王門

伝教大師童形像

伝教大師童刑像

大師堂・不動明王像

大師堂

不動明王像

  大師堂の傍らに不動明王(石像)が安置されています。不動明王は、火を観想して動ぜず、あらゆる障害を焼きつくす大智の火を身から発する・・・といわれ、大日如来の使者となって悪を断じ、善を修して真言行者を守る役目をになっています。不動尊信仰は平安時代からひろまり、特に江戸時代以降は、人々の厚い尊崇が寄せられました。当寺の不動明王は、左手に羂索、右手に利剣をもち、石造とはいえ均整のとれたふくよかな体つきの尊像です。

加藤ひな子の碑・山田 顕義の歌碑

加藤ひな子の碑

山田 顕義の歌碑

  加藤ひな子は、安政4年(1857)江戸に生まれました。ひな子は幼い頃から芸事に達者でしたが、待合茶屋(客のひとりに山田顕義もいました)を経営するなど、実業家としての顔も持っていました。ひな子のあくなきバイタリティーは女優の養成にも向けられました。明治41年(1908)東京女優養成所が設立されると、ひな子は副所長として迎えられ(所長は女優川上貞奴)、のちの演劇界を代表する女優を育てました。明治42年7月、ひな子は欧米の演劇や音楽を学ぶため、ひとり旅立ちました。ところが、その年の11月26日、旅先のボストンで突然発作を起こし、志半ばで急死しました。浄光寺にあるひな子の歌碑は、明治44年(1911)川上貞奴らがひな子をしのんで建てたものです。

  山田顕義は弘化元年(1844)長州藩で生まれました。青年時代を幾多の戦乱のなかで過ごした顕義は、明治政府成立後、司法省の要職を歴任し、法典の編纂に全精力を傾けました。近代日本の法体制の基礎は、彼の手で築かれたと言っても過言ではないでしょう。また、顕義は私学教育の振興にも力を入れ、明治22年(1889)10月、日本法律学校(のちの日本大学)を設立し、人材の育成にも尽力しました。こうして多方面で活躍した顕義でしたが、司法大臣を辞職した直後の明治25年11月、生野銀山視察中に倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。明治二七年、生前親交のあった加藤ひな子は発起人として、顕義が作詞した小唄「風折烏帽子」を刻んだ歌碑を建て、顕義をしのびました。その後、ひな子の碑もでき、現在はふたりの碑がなかよく並んで建っています。

鐘楼

鐘楼

登美の松

登美の松

  徳川幕府第三代将軍家光公が参詣に訪れた折に、家光公自らの手によって植えられたもので、命名は第八代将軍吉宗公によるものです。現在の松は二代目で、傍らにある登美の松碑は勝海舟の揮毫です。

生田蝶介の歌碑

生田蝶介の歌碑

水の上をゆるく流れる花びらはみづにも
  ぬれずかがやきにけり

蝶介


  苛烈をきわめた戦中戦後の一時期、世相の荒廃を憂慮され、明日の日本を担う青年たちを集めて、この地、木根川薬師奥書院(現在の釈迦殿)にて満葉集講義をされた本邦近代歌壇の巨匠生田蝶介先生と当山第1世住職大僧正伊藤孝延師との邃きご厚誼を志すため、吾妹門下生相図り吾妹創刊60周年を記念し、ここに第11歌碑を建設しました。

双龍の藤

生田蝶介の歌碑

  樹齢300年の一株の幹が二頭の龍のように分かれた姿は双龍の藤の相応しく、12メートル四方の藤棚を構えています。毎年4月下旬に見頃を迎えます。

杜若

杜若

  浄光寺は江戸時代には杜若の名所として名高く、多くの文人墨客が訪れました。移転の際この杜若はなくなりましたが、このたび復活し往時の姿を偲ばせています。鮮やかな紫の花は清楚な気品を漂わせています。毎年5月上旬に見頃を迎えます。

庚申塔

庚申塔

  山門を入った右手に二基の庚申塔が安置されています。いずれも江戸時代中期に造立されたもので、青面金剛と、見ざる、聞かざる、言わざるの謹慎態度を示す三猿が刻されています。庚申の信仰は、 庚申の夜は眠らずに言行を慎み、健康長寿を祈念するという信仰です。

水屋

水屋

大銀杏

大銀杏