境内案内
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薬師堂・釈迦殿
仁王門、仁王尊(金剛力士像)
仁王門は朱塗りの門で、平成8年5月に落成いたしました。仁王尊(金剛力士像)は、何本かのヒノキを寄せて作る「寄木造」で、ガラスの「玉眼」が埋め込まれています。胎内(胸の内側)に墨書銘があり、江戸時代前半の寛文3年(1663)に浄光寺僧侶忠辨が願主、名主の大塚六右衛門が惣檀那となり、京都七条の仏師五代目兵部藤芳が制作したことが分かります。金剛力士像は仁王門に立ち寺を守護する役目があり、仁王像ともいいます。向かって右が口を開く「阿形」、左が口を閉じる「吽形」(ともに現像高は275cm)で、怒りの顔をあらわし、全身に力がみなぎっています。
伝教大師童形像
大師堂・不動明王像
加藤ひな子の碑・山田 顕義の歌碑
山田顕義は弘化元年(1844)長州藩で生まれました。青年時代を幾多の戦乱のなかで過ごした顕義は、明治政府成立後、司法省の要職を歴任し、法典の編纂に全精力を傾けました。近代日本の法体制の基礎は、彼の手で築かれたと言っても過言ではないでしょう。また、顕義は私学教育の振興にも力を入れ、明治22年(1889)10月、日本法律学校(のちの日本大学)を設立し、人材の育成にも尽力しました。こうして多方面で活躍した顕義でしたが、司法大臣を辞職した直後の明治25年11月、生野銀山視察中に倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。明治二七年、生前親交のあった加藤ひな子は発起人として、顕義が作詞した小唄「風折烏帽子」を刻んだ歌碑を建て、顕義をしのびました。その後、ひな子の碑もでき、現在はふたりの碑がなかよく並んで建っています。
鐘楼
登美の松
生田蝶介の歌碑
ぬれずかがやきにけり
蝶介
苛烈をきわめた戦中戦後の一時期、世相の荒廃を憂慮され、明日の日本を担う青年たちを集めて、この地、木根川薬師奥書院(現在の釈迦殿)にて満葉集講義をされた本邦近代歌壇の巨匠生田蝶介先生と当山第1世住職大僧正伊藤孝延師との邃きご厚誼を志すため、吾妹門下生相図り吾妹創刊60周年を記念し、ここに第11歌碑を建設しました。
双龍の藤
杜若
庚申塔
水屋
大銀杏