寺宝
寺宝とは寺の宝物のことで、法宝物と財宝物とに分けられます。浄光寺の寺宝から代表的なものを掲載しました。
秘仏本尊薬師如来
当山のご本尊は、宗祖伝教大師最澄が東国の地に教えを広めようと発願し、一刀三礼して自ら彫刻なされたお薬師さまで、今日に至るまで1,150年余年にわたって衆生済度の光明を照らし続けておられます。江戸時代は徳川将軍家祈願の折だけご開帳が行われていました。もちろん庶民からも、薬師仏が病気を治し霊感あらたかだとして、たいへん多くの信仰を集めていました。現在は12年に1度ご開帳を行っています。(平成22年10月10日~16日)
釈迦三尊像(区重宝)
木坐像、寄木造、漆箔。
主尊・釈迦如来像に騎象普賢菩薩、騎獅文殊菩薩が脇侍として配されています。
釈迦如来の像高は96.9、普賢・文殊菩薩はおよそ29cm。
釈迦如来像は結跏趺坐し定印(瞑想に入って思惟する)を結んでいます。
釈迦如来の本尊。鎌倉期のもので3躯とも同一の作者によるものと思われます。作者・由緒等は不明。
主尊・釈迦如来像に騎象普賢菩薩、騎獅文殊菩薩が脇侍として配されています。
釈迦如来の像高は96.9、普賢・文殊菩薩はおよそ29cm。
釈迦如来像は結跏趺坐し定印(瞑想に入って思惟する)を結んでいます。
釈迦如来の本尊。鎌倉期のもので3躯とも同一の作者によるものと思われます。作者・由緒等は不明。
千手観音菩薩像(区重宝)
木立像。一木割矧造。内刳、漆箔。総高54.9、像高41.9、脇手最大24.0cm。
頂上に仏果をあらわす阿弥陀如来の化仏をいただき、その左右に各5面が配され、14臂のめずらしい尊像です。
江戸時代の作と推定されますが、作者・由緒、沿革等は不明です。
頂上に仏果をあらわす阿弥陀如来の化仏をいただき、その左右に各5面が配され、14臂のめずらしい尊像です。
江戸時代の作と推定されますが、作者・由緒、沿革等は不明です。
金剛界大日如来像(区重宝)
木坐像。一木造。像高約31cm。
大日如来は密教の中心仏で、如来に内在する理徳の面を示す胎蔵界大日如来(法界定印を結ぶ)と、表現される智徳の面を示す金剛界大日如来(智挙印を結ぶ)2つのあらわれかたをします。
室町時代の作と推定されますが、作者・由緒ともに不明です。
大日如来は密教の中心仏で、如来に内在する理徳の面を示す胎蔵界大日如来(法界定印を結ぶ)と、表現される智徳の面を示す金剛界大日如来(智挙印を結ぶ)2つのあらわれかたをします。
室町時代の作と推定されますが、作者・由緒ともに不明です。
慈慧大師像(区重宝)
木坐像、玉眼入、寄木造。
慈慧大師良源は、比叡山延暦寺中興の祖と称されます。
江戸時代の作と推定されますが、その作風は堅実で、作者、由緒ともに不明です
江戸時代に入ると、厄除大師として、人々の厚い信仰が寄せられました。
慈慧大師良源は、比叡山延暦寺中興の祖と称されます。
江戸時代の作と推定されますが、その作風は堅実で、作者、由緒ともに不明です
江戸時代に入ると、厄除大師として、人々の厚い信仰が寄せられました。
如来形像(区重宝)
木立像、一木造、総高82.5、像高53.8cm。
如来とは悟りを開いた覚者をいいます。大日如来をのぞく如来一般の特徴は、頭部の肉髻、螺髪と、身に衲衣以外のものをつけない点にあります。
鎌倉時代の作と推定される容姿の整った尊像です。
如来とは悟りを開いた覚者をいいます。大日如来をのぞく如来一般の特徴は、頭部の肉髻、螺髪と、身に衲衣以外のものをつけない点にあります。
鎌倉時代の作と推定される容姿の整った尊像です。
靑龍山藥師仏像縁記(区重宝)
伝教大師の作といわれる本尊・薬師如来像(秘仏)の縁記について記したものです。
嘉暦2年(1327)、義純によって記され、のち応永30年(1423)、明暦3年(16557)、宝暦9年(1759)に写し継がれています。
嘉暦2年(1327)、義純によって記され、のち応永30年(1423)、明暦3年(16557)、宝暦9年(1759)に写し継がれています。
藤原家定・寄進状(区重宝)
応永33年(1426年)、藤原(奥津)家定が「上木毛河郷内薬師別当職・同寺領等」を、そのころ当寺を兼帯していた鎌倉八幡宮・十二坊のうちの相承院へ寄進したおりの文書です。
徳川家康書状(区重宝)
徳川家康が金法印に「明朝参上せよ」と命じた書状です。
金法印はとはだれなのか、またなぜこの書状が浄光寺に伝存しているのかは不明です。
金法印はとはだれなのか、またなぜこの書状が浄光寺に伝存しているのかは不明です。
東照大権現像(区重宝)
絹本着色東照大権現徳川家康像とよばれます。
天海僧正により寄進されたもので、天海僧正による
帰命満月海 浄命瑠璃光 法楽求人天 因中十二願 東照大権現 三国伝燈
の讃が記されています。
狩野探幽筆
天海僧正により寄進されたもので、天海僧正による
帰命満月海 浄命瑠璃光 法楽求人天 因中十二願 東照大権現 三国伝燈
山門執行探題 天海開眼
の讃が記されています。
狩野探幽筆
紙本墨画 左:豊臣秀吉甲冑像(区重宝)/右:徳川家康甲冑像(区重宝)
箱書に「家光筆」とありますが、讃等がなく確かな成立年代や、作者については不明です。
江戸時代初期のもの。画像の縦横は両像とも約26.5×74cm。
二重の箱に収められ、五三の桐と徳川葵の紋が金箔で押されています。
徳川家光 三世御ちキリ(区重宝)
三代将軍・家光が、祖父家康いらいの三世のちぎりを記したものです。
書かれた理由や、その伝来については不明ですが、家光の自筆と推定されます。
書かれた理由や、その伝来については不明ですが、家光の自筆と推定されます。
御成記(区文化財)
浄光寺には朱印状をはじめ36点の近世文書が所蔵され、いずれも葛飾区の文化財に指定されています。
この御成記もそれで、当寺の住職が作成した文政4年(1821)から嘉永5年(1852)にかけての、将軍の「お成り」に関する重要な記録です。
この御成記もそれで、当寺の住職が作成した文政4年(1821)から嘉永5年(1852)にかけての、将軍の「お成り」に関する重要な記録です。
御簾(区重宝)
享保年中(1716~35)、八代将軍・吉宗は、浄光寺を鷹狩りのおりの御膳所と定め、しばしば浄光寺を訪れています。
その初期のころ、この御簾が浄光寺に下賜され、将軍の御座にかけられたものと思われます。
御簾の大きさは、縦145、幅203cm。唐草に葵の紋を織り出しています。
その初期のころ、この御簾が浄光寺に下賜され、将軍の御座にかけられたものと思われます。
御簾の大きさは、縦145、幅203cm。唐草に葵の紋を織り出しています。